またまた「古里」壬生川へ

2018年11月08日 06:38



3年前に、壬生川に来るのも最後かも知れないと思い、壬生川~わが古里
というシリーズを書いたが、今週初めにまた壬生川へ行った。


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お昼はいつもの、津田の松原SAにある「あなぶき屋」へ。

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かけうどんの小とトッピングを取った。

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我々は丁度12時に入ったが、5分後に団体がバスから降りてきて一杯になった。
人気があるので、午前10時の開店でも充分やっていけるのだろう。


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ここは、電気自動車の充電ステーションもあるが、使っているのを見た事がない。


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壬生川の「本通り」なのだが


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店は閉まっていたり住宅に変わっているのが多い。
閉めるだけでなく、倒壊の恐れがありそうな建物も見受けられる。


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この万年筆屋さんもシャッターが閉まったままだ。
気に入る書き味になるまで調整してくれるという店だったが。


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その前に厳島神社がある。


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三津屋川に沿っているので、かっては西条藩が年貢米を積み出す港として使っていたと聞いている。


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この石碑によると松山藩の飛地だった事になる。
歴史と旅の「藩史総覧」によると、当初は一柳家が6万石で入っていたが、
その後分限されて3万石となり、紀州家から藩主を迎えたとある。
松山藩は加藤嘉明の後、家康の異父弟が入って松平になった。
御三家から出た殿様が、親藩とはいえ支藩の藩主に収まるものか?


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ここがかっての「壬生川新地」だった。
新地と言っても芸者が居る新地ではなく、新しい商店街という意味だった。
両脇の歩道を会わせたくらいの道幅だったのに、右側の家を立ち退かせて道路を拡張した。
その結果、商店街として成り立たなくなった。
車も通らずガランした道路が徒に拡がっている。
何十年も前の計画を無闇に執行した報いである。
そして、東予市は西条市に合併され消滅した。


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母の実家の向いの商店が昔のままの姿で残っているが、見た目には新しい。
引き家で移動したのではなく、同じ姿で新築したもののように見える。


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当時の姿を留めているのは、このおでん屋と

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小さなお社


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ピリケン堂という化粧品店ぐらい。


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ここは新地通りから少し入った所にある、青物市場。
これも建物だけで市が開かれる事は無い。
子供の頃はここでトマトを持ちきれない程買って、
「打ち抜き」という湧き水の溜まり場で冷やして食べた。


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こちらでは、渡り蟹というガザミ。
デボロと呼ばれるシャコと共に何時も鉢に盛られていて、
おやつに食べていた。
最近は、大きな物は大阪や大都市に出荷されて地元で手にはいらないらしい。


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コイツも年を食って、くたばったかと思っていたが、
相変わらず電気ストーブの前を占領していた。


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翌日は壬生川港の近くにある、壬生川のばあちゃん(母方の祖母)の墓参りに。


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小さな墓地で水道はなく、手押しポンプが今だに現役だ。


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花受けが全部で8つもある。
花では保たないので、皆サカキを入れているが、大きい。
持参したサカキではとても足りない。
枯れているものを入れ替えるだけになった。

主墓石にここらではネコと呼んでいる足が付いている。
時が経つと足の先が欠けてきてグラグラになる。
今は平たい物が殆どなのだが。
尤も、最近は少子化で家系が先細りになっている。
墓の足より墓参りする人が居なくなる方が先かもしれない。


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またね、ばあちゃん。
次は何時になるか分からんけど。



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