書き手が亡くなった平滑筋肉腫のブログ

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    かずさん


    「あいつ」が平滑筋肉腫という稀な難病に罹った時は必死になってネットを漁った。
    この先どんな推移をして、どんな対応が出来るのかを知る唯一の情報源だった。
    また闘病に頑張っておられる様子に、勇気づけられる事も多かった。
    今は当ブログのCategory [ 平滑筋肉腫 ] へアクセスされる方も多い。

    しかしいつかブログは更新を停止して、亡くなった事を知る。
    その度に一緒に病気と闘ってきた、いわば「戦友」を失った気持ちになった。

    2年前(2016/8/20)に
    私の知る最後の肉腫患者が亡くなった
    という記事を書いた。
    そして印象に強く残ってた他の幾つかのサイトを訪問して紹介したが、多くサイトが遺族の方によってメンテナンスされていた。
    生きていた証として遺しておきたいという気持ちは私と同じなのだろう。


    今hppts化の嵐が吹いている。
    その後遺族の方々がサイトをどうしておられるのかと再訪してみた。



    あの記事を書いた「すぅ」さんのブログLife is …〇〇な話も、トリオ(3人目の方はブログを遺しておられてない)で岡山大付属病院へ通院しておられた「ままたす」さんの心はいつも*笑顔日和*でありたいな(子宮平滑筋肉腫もhppts化されていた。
    「この人たちほんとに病人かいな」と思うほどお元気に旅行や食べ歩きで人生を謳歌されていたように見えたが、本当はそう遠くない先に終着駅があるという事を覚悟しておられたのだ。


    トトロの転移乳がん闘病記 
    トトロ」さんは肉腫ではなかったが、身寄りのいない所謂「おひとりさま」で、仕事を続けながら闘病し、ブログを毎日更新するという事を自分に課しておられた。
    ブログには年100万ものアクセスがあった。
    しかし、人気サイトであっただけに中傷的な書き込みも多かったようで、亡くなられて暫くしてからサポートしておられた友人達によって閉鎖された。
    あの生きるというエネルギーに満ちあふれた記事にもう一度触れたいと願ったが、閉鎖されたままだった。


    悪性軟部肉腫闘病記
    モンコ」氏は東京から慣れぬ北海道に移住し、奥様と二人三脚で闘病されていた。
    やっぱりあいつは殺されたで紹介したように、「緩和」という言葉に騙されて亡くなった。
    奥様が毎年命日の日だけ記事をアップしれている。
    ここもhttps化が済んでいた。


    明日に架ける橋 ~がんと私…今ここ日記~
    たぁ」さんは、肉腫ではなく乳がんだった。
    面倒が見られなくなってやむを得ず施設へ入れた、先天的疾患をもつ次男「ちぐ」君への母としての熱い思いにいつも感動を貰っていた。
    hhttps化されていないが、ご遺族によって更新されている。


    余命1年
    肉腫ではなくて肺癌の闘病記だが、いきなり余命宣告(半年から1年)をうけてから1年の記録。
    常に強い気持ちで病気・病院と闘う気骨のある方だった。

    『入院後に麻薬の適切な服用量を調べるためということで朝晩8錠ずつの16錠に減らされてしまった。(中略)
    1週間分の鎮痛剤を一気飲みする、と薬包の束を掴んだら看護婦は慌てふためいて医者を呼んできた。
    この薬をそんな飲み方しても効果はありませんと必死になって静止する。
    んなこたあ百も承知してるつーの、早く麻薬くれと思いつつ病院の言うことを聞いてたらこんなに痛みに苦しんでる。
    そんな最低限のQOL(Quality Of Life)も保障できん病院なぞ話にならんと強く主張したら
    顔色を変えた医者は26錠にまで増量した。それでもまだ足りず適切量は30錠と解りました、
    と報告を受けたのが木曜の晩だった。入院前から30錠と言ってただろうが!!』 外泊許可より

    医者は見慣れて過ぎて、患者の肉体的、精神的苦痛に全く鈍感です。
    それに「人の足は3年踏まれも痛くない」と言いますからね。


    私と同じfc2だが、最後の記事「訃報」以後は手を入れられいない。


    Liveforever 
    ナミ」さんは、吉野ゆりえさんと並ぶ超長期のサバイバーだった。
    この人は寿命を全うされるのではないかと思っていた。

    htts化済み


    ここまで前回記事分を一部端折って紹介したが、もう少し付け加えたい。


    いつもこころにお日さまを
    20歳で「肉腫」と診断された女性
    「あいつ」と同じパゾパニブをやっていた。
    ここも2013年で終わっているがhttps化されている


    チコダイアリー
    秋田県の若い女性の記録。ブログは2011年4月後腹膜原発平滑筋肉腫の再発から始まっている。
    K病院とあるのは有名な千葉県の亀田総合病院で、O先生とあるのは腫瘍内科の大山先生の事だろう。
    東京の亀田京橋クリニックへは行った事があり、外房にあるこの病院への転院も考えた事がある。
    パゾパニブを服用するために秋田から千葉まで通院していた!!
    彼氏とのデートの記事も有り、この人はひょうとしたら長く生きられるのではないかと思ったが2014年1月の記事が最後だった
    このブログもhttps化されている。



    骨肉腫の息子☆明日天気☆時々ぼやき
    『常夏の☆☆国で2004年9月 小4の息子が骨肉腫になり帰国。肺・骨転移あり。2007年4月中学からは車椅子ユーザーです。2010年4月高校1年生になりました。2011年3月4日天国の住人に。16歳、6年半の闘病でした。』
    と冒頭にある通り、難しい思春期を難病かかええながら過ごす息子を護る強くて優しいお母さんのブログ。
    https化。



    健康日和♪ ~明るくいくぞ!(^^)~(肉腫)
    ちぃ」さんの子宮平滑筋肉腫の闘病記
    ブログは2013年5月~2014年8月だが、2008年9月に最初の手術をされ、その後手術と化学療法を併用されていた。
    「あいつ」は最初の術後2年で死んでしまったが、女性の子宮平滑筋肉腫はもっと長く生きられるようだ。
    コメントでやりとりした事があるが、記事同様落ち着いた穏やかな女性という印象だった。

    https化


    再発・転移がん(肉腫)と向きあうゆめたんたんのブログ
    ゆめたんたん」さんは宮崎から大阪の旧成人病センターの高橋 克仁先生を頼って来阪され、先生が主催されていたキュアサルコーマグループのサポートをうけておられた。
    新山手病院で手術とGT療法(ジェムザール+タキソテール)を受けられたが転移が早く、発見から2年後に亡くなられた。
    https化

    大阪成人病センターは昨年大阪国際がんセンターと改称され移転した。
    高橋先生は東京にある国際医療福祉大学の三田病院に移られ、肉腫センター長をされている。


    癌で残りわずかな人生悔いのないよう頑張って生きよう!間葉系軟骨肉腫で多発性転移
    ひまわり」さんはパゾパニプで2年間生き延びられた。
    ご主人は既に他界されたようで、ご本人のお母さんと小さなお子さんという家族構成のようだ。
    子供の為に一日でも長生きしたいといつも書いて居られた。
    何ヶ月も更新がない事があったが2015/11/21以降更新されていない。

    https化されていない。ライブドアはブログのhpptsの体制が整っていないようだ。


    らんらんら〜ん♪のブログ
    らんらん」さんは軟部肉腫だった。
    ぎりぎりまで自宅療養され、オキシコンチンを自分で加減しながら痛みと闘っておられた。
    記事の最後に「明けない夜はない」といつも書かれていたのが印象に残っている。

    ここもライブドアで未httpsだった。




    こうしてみると、https化されたブログが多いが、実はその殆どがアメーバブログ、所謂アメブロだった。
    アメーバは記事毎の閲覧制限設定がやりやすいだめ、闘病記ブログでよく使われている。
    アメーバやエキサイトではある日一斉に変更したらしい。
    fc2のhttps化は自分で変更する必要があるが、特にユーザーが手を加えずに全ブログがhttps化できたようだ。




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    Posted byかずさん

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